拝啓 松野博一様
拝啓
松野博一様
この度のご当選おめでとうございます。
逆風吹き荒れる中の6万7308票は、
千葉3区における貴殿の底力と思います。
この手紙が届くかどうか分かりませんが、
以下、少々個人的な想いをお伝えさせていただきます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
私事ではありますが、
この度の衆議院選挙に先立つ
去る令和6年3月末頃
松下政経塾の入塾試験を受けました。
結果は塾構内での1泊2日の2次審査で落選でしたが、私は入塾試験を通じて、塾主の松下幸之助(敬称略)への疑問に対する私なりの答えを見つけることができました。
私の疑問は次のとおりです。
=================
なぜ松下幸之助は、晩年私財の一切を投じて松下政経塾を創設するほどに政界への熱意を有していたにもかかわらず、自身は政界に進出することをしなかったのか。
=================
入塾試験の過程で、松下幸之助は、当時のNHK紅白歌合戦の審査員を務めるなど国民的な人気も高かったことを知り、私の疑問はますます深くなったのですが、私は試験を通じて私なりの答えに辿り着きました。
それは、資本主義の魅力です。
9歳から丁稚奉公を開始して1代で松下電器を築き上げた松下幸之助にとって、お客様の声を聴き、その声に応えることで感謝の対価を受け取り発展するという資本主義は、資本主義を通じた人間教育という意味でもわかりやすく魅力的だったと思います。
では、なぜ松下幸之助は、そのような資本主義を通じて得られた感謝の対価の一切を投じて、晩年に松下政経塾を創設したのか。
月並みな言葉かもしれませんが、日本を良くするためには、良い政治家が必要であると考えたからに他ならないと思います。
松下政経塾は入塾条件として兼業禁止を掲げていたため、通過していれば、弁護士業務の事業を譲渡することも考えていました。
しかしながら、私は2次審査で落選しました。勝手な解釈ですが、私はこの落選は松下幸之助からのエールであると感じました。
“事業を手放さなくともお前ならできる”
私が兼業政治家として活動を決意した背景には、1泊2日という限られた時間でしたが、松下政経塾の入塾試験を通じて感じたこと・考えたことが根幹となっています。
松下政経塾の卒塾生である貴殿におかれましては、①塾主である松下幸之助が資本主義を通じて得られた対価の一切を投じて松下政経塾を創設した理由は何なのか、②資本主義を通じて得られた対価の一部である税金の使い道を決める国会議員の役割は何なのかという点を改めて考慮いただき、千葉3区選出の全国民の代表として国会議員の職責を全ういただければと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
以上、甚だ勝手ではございますが、どうしても貴殿にお伝えしたく、私事ながら、一方的な想いを述べさせていただきました。
朝晩冷え込む季節となりました。
くれぐれもご自愛ください。
貴殿のご活躍を心より祈念しております。
敬具
令和6年10月28日
弁護士兼政治家大薄裕也